聴くということ
- ひでみ
- 2019年5月14日
- 読了時間: 2分
私が、数年前にミラノの楽器博物館に行った時のこと。大きな展示場所に、グランドピアノが置いてあり、コンサート会場が設営されていました。
博物館なんだから、静かにしていなきゃいけない、と思いがちですが、こういう利用の仕方をするんだな、と、びっくりしたのを覚えています。

タペストリーかな、古いものが展示されていますね。そして、よーくみると、奥にグランドピアノが!

こういう所に、設置しやすい電子ピアノのを置くのではなく、アナログなピアノを運び込もうというのが、やはり、音楽の街ですね。残念ながら、この時は演奏会はなかったので、音は聴けませんでした。
現代は、とても多くの音で溢れかえっています。
電子音、車のエンジン音、工事の音、広告の音楽、電車の音、だれかのイヤホンから漏れてくる音・・・。どの音も、いまの生活ではあって当然の音です。
コンピューター(古い言い方!!)での音は、今ではとても自然に聞こえる様になって来たと思います。簡単に本物に近いものが作れてしまいます。人間の力は本当にすごいです。
ただ、電子音を使用・利用するのはいいのですが、私が感じるに、その音に支配されてしまっている様な気がしています。麻痺しているというか、疑問を持たないというか。
朝、4時ごろでしょうか。だんだんと空が白んできて、それとともに、静寂の中から鳥のさえずりが聴こえてくる。おそらく、これは昔の人が聴いた音と変わらないものなのではないでしょうか。現代を生きている私たちが、それより昔の人たちと繋がる瞬間。そこから、心が伝わってくる様な気がします。それを、自分の心の軸にしてから、作られた音を利用していける様になったら、もっと心は解放される様な気がするのです。
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