歌うことは、生きること
- ひでみ
- 2020年2月3日
- 読了時間: 4分
前回記事から随分と時間が経ってしまいまいした。
日本や世界は今大変な状況になってしまっていますね。皆さん、健康にお過ごしでしょうか?
私は、風邪にもかからず、インフルエンザにもならず、元気で過ごせています。これも、歌のおかげです。
気づけば2月、しかも今日は節分です。いつもだったら、「だんだん春になるとか言ってるけど、まだまだ全然寒いじゃん!」と、文句を言っている時期ですが、今年はとても暖かい。暖冬ですね。私が面倒見ているバラ達も、なんだかもう新芽がぷっくりとしていて、いまにもぐんぐん緑の葉っぱが伸びてしまいそうです。今年は、冬の休眠期がなかったから、ちょっと株が疲れちゃうかもなぁ、と思いながら、毎日見ています。
2月11日に、目黒の中小企業センターホールにて、橘田恵美子先生の門下生声楽発表会があります。現在は、その準備が本格化して来ています。プログラムを作ったり、伴奏合わせをしたり、幹事の仕事は色々とありなかなか大変なのですが、もう何年もやっていると随分と慣れたということもあります。
昨日・一昨日と2名のピアノの先生にお越しいただき、伴奏合わせをしました。タイムをとって、当日のタイムスケジュールを組むという作業もあり、雑務でいっぱいになる一週間になるでしょう。もう一人の幹事さんと二人で協力して動いています。
今回で53回を数える門下生発表会。53年続いているんです。毎年、プログラムを作っていると、途方もない時間のように感じてしまいます。すごい歴史です。多い時には、70人もの生徒さんがいて、文字通り、朝から晩まで発表会は続きました。
私が先生のところに行き始めて、19年にもなるんですね。今、思い出して、驚きました。当初は、録音を一人ずつ配ってくださるのも、カセットテープでした。懐かしいな。
その当時の幹事さんたちは、本当に昔ながらのハッキリとピシッとした方々ばかりで、畏怖の念を抱き、その末端に名前を入れていただけること自体が畏れ多い、という感じでした。そんな私が、いまでは幹事を務めさせていただいている。頑張らなきゃな。
高校1年生だった私が、先生のところに通い始めて19年。
その分、先生もお歳を召されているということ。
最近、ちょっと、様子が変わって来ました。
体調不良が続いたり、少しぼーっとしたり、「なんだか、頭の中が晴れない気がしてね、ぼやぼやしてるの。もうちょっとスッキリしたいのだけど」と、おっしゃっていたり。何をするのもやる気が出なくて、「今回は、最後に歌うのやめようかしら」とまで。発表会の最後は、毎年先生の歌で終わるのですが、今回は、それをするのも億劫ということで、プログラムには書かない方向で進めて来ました。
しかし、一昨日の伴奏合わせの最後に「じゃあ、ちょっと歌ってみようかしら」と。
歌うというスイッチが入った先生は、今までのぼーっとしていた事なんか、全く感じさせないような、素晴らしい歌を歌ってくださいました。しかも、昨年よりももっと良くなってる。どういう事なんだろう、と、不思議でしょうがなかった。
歌う前に先生は、実はこんな事を言っていたんです。
「なんだかね、気力が少しずつ減って来ているような感じがするの。元気に何か動くとか、そういう気力がね。でも、それはもう歳を取ってくるとそういうものなのよ。そして、その気力が無くなった時にきっと終わるのね」
頭がぼーっとしていると言っていた先生が、自分の事を事細かに観察して分析して、それを話してくれていたんです。諦めているというわけではなく、自然を受け入れているという感じでしょうか。
そんな先生が、歌った後に
「ああ、なんだか元気になったわ!歌うと元気になるのね!」と、一言。
「身体が楽器になるっていう感じがあってね、歌うと決めると、パッとそういう体勢になるのよ。でも、全身使うから、疲れちゃうわね。でも、気持ちよかったわ!」
そうおっしゃっていました。私は人間の根源的な場面を見たような気分になりました。
きっと、歌うことは生きることで、生きることは歌えることなのではないでしょうか。
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